485系特急形交直流電車|200番代 概説 1972~76(昭和47~51)年に製造されたグループ。モハ484形(m')は冷房装置が集中式のau71aに変更、クハ481形については分割・併合に対応するため前面を183系のクハ183形0番代に準じた貫通形に変更されて、それぞれ200番代に区分された。 は床下に他系列の廃車発生品となる容量110 kVAタイプを、運転台下にC2000形CPを搭載するほか、台車は種車から流用されており、1 - 14はTR69E、15のみTR69Hを装着する。, 15両全車がJR九州に承継され11・12は後に半室普通車化再改造によりクロハ480-51・52となったほか、後年は「かもめ」「にちりん」でも運用。2000年までに廃車となった。, 1000番台は1988年に「北越」短編成化に伴い組成された金沢運転所O編成用に吹田工場で改造された区分。種車がサロ489形1000番台のために210 kVA MG・CPを搭載するほか、台車はTR69Hを装着する。0番台同様に前位側トイレ・洗面所区画を台枠ごとカットし新たに別途製造済の運転台を接合したほか、後位側に車掌室・車販準備室のほか電話室を設置する。, 2301は1991年に「かがやき」用S編成にグリーン車組込むため1002に転用改造を吹田工場で施工した区分。クロ481形2300番台同様に座席配置を2+1とし床面を50 mm嵩上げ、またトイレ・洗面所のリニューアルにより同部分の小窓を埋込とし、車掌室・車販準備室を撤去した上で方向幕は客室化した部分の客窓上部に移設などグレードアップ化を実施した。, 2002年にO・S編成を統合する形で全車「加越」用K編成に転用されたが、2004年の「加越」「しらさぎ」統合ならびに683系化で余剰となり1000番台は廃車。2301は京都総合運転所へ転出し「雷鳥」用A10編成に組成されたが、2010年4月30日付で廃車され廃形式となった。, 1983年に鹿児島車両管理所でサロ489形から横軽協調装置を撤去してサロ481形に編入したグループ。基本番台新製車の続番となっているが489系0・500番台グループが種車のためクーラーはAU12形を搭載。2両とも分割民営化時にはJR九州に承継されたが1990年に廃車。, 1980年代になると営業休止や短編成化によって編成から外され余剰化したサシ481形を種車に和式グリーン車「だんらん」へ改造した区分で以下の施工がされた。, 505・507が鷹取工場で。他車が吹田工場で改造施工。1985年3月ダイヤ改正で「雷鳥」へ4号車のサロ481形0番台に続く5号車へ連結されたが、1989年に一部列車の「スーパー雷鳥」化により運用離脱。502 - 505・508・509の6両は後述する2000番台へ再改造されたが、残りの3両は運用離脱後向日町運転所で留置され1993年に廃車された。, 1975年の「つばさ」本系列化時に充当されたサロ481-115・116・122・123・127・128は当初から1000番台車に準じた仕様で製造され、車販準備室設置やMG・CPを搭載し秋田運転区へ新製配置された。この6両は翌1976年の1000番台置換えにより南福岡電車区へ転出したが、1978年の東北地区特急列車増発時に再び秋田運転区へ転出することになり、1000番台対応引通線追加改造などを土崎工場で施工改番したグループである。, 1989年に1051がサハ481形300番台に、1990年に1052・1053がサロ489形1050番台へ改造され、残りは1994年に廃車。, 本系列への編入を予定して製造されたサロ181形1100番台[注 58]を181系の運用が終了した1982 - 1983年に盛岡・郡山・土崎の3工場で改造編入したグループ。1500番台新製車との関連は全くない。改造落成後は青森運転所に配置。1985年の「ひたち」増発時に勝田電車区へ転出した。1990年 - 1991年に老朽車取替のため1506を除きクハ481形1100番台に再改造[注 59]された。, 定期「あいづ」ならびに波動運用対応でクハ化が施工されなかった1506は、1997年の「ひたち」モノクラス化により余剰となり幕張へ転出、大宮工場でジョイフルトレイン「ニューなのはな」のクロ484-5へ改造され区分消滅した。, JR西日本が1989年と1991年に吹田工場でサロ481形500番台のうち6両を「スーパー雷鳥」用に再改造したための区分。大元となったサシ481形の車体構造を踏襲するが、編成を組成する上で隣接するクロ481形2000・2100番台が当初は富山方先頭車となるため方向転換を実施した上で「スーパー雷鳥」色へ塗装変更を含み以下の改造を施工した。, 500番台時代から引き続き外吊式の業務用扉は残存させたが、乗客用扉ならびにトイレ・洗面所は装備しない。また同時に改造されたクロ481形2000・2100番台の種車はサロ489形1000番台・サハ481-118であったことからMG・CP搭載をしていたが、本改造でCPを本車へ移設したため常時次位で連結された。しかし2001年の「しらさぎ」転用では編成対象から外れて廃車されたことから、CPはモハ485形500番台に再移設。台車は新たに改造されるサハ481形600・700番台に転用された。, 特急列車の短編成化と少なからず要求されるグリーン車需要に対応すべく、クハ481形の客室前位にグリーン室を設置した形式である。, 1993年に1がクハ481-226に復元。2000年に9 - 13が廃車。残りの車両も2012年までに廃車された。, 1986 - 1987年に熊本発着「有明」3両編成化によりクモハ485形100番台と編成組成することから、小倉工場でクハ481形200番台8両に改造施工。200番台区分だが、施工は0番台よりも先の国鉄末期時代であり、全車JR九州に継承。, グリーン室座席は、当初新幹線0系電車廃車発生品3列×3席を流用したが、分割民営化後の1989年に201を除いて0番台と同数の新型シート3列×5席に交換。 ・昭和43年:所属サロ481全車をクロ481-50番台に改造。 485系電車(485けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交流直流両用特急形電車である。, 本項では、交流60 Hz対応の481系・交流50 Hz対応の483系ならびに交流50/60 Hz対応の485系を基本に信越線の協調運転にも対応した489系についても解説を行う。, 1950年代半ば以降、国鉄は地方線区の電化では地上設備の低廉性などから交流電化を推進し、各地に直流電化方式との接続点となるデッドセクションが生じた。さらに特急列車の運転区間が地方線区に拡大され、上述の異電源方式区間への直通運転要求に応えるために製造されたのが本系列である。, 1964年(昭和39年)から関西⇔北陸・九州用に直流/交流60 Hz対応の481系電車が、翌1965年から関東⇔東北用に直流/交流50 Hz対応の483系電車が製造された。1968年からは交流の周波数が50・60 Hz両対応となった485系電車が製造され、本系列の統一形式名となった。, 1971年には派生系列として信越本線横川 - 軽井沢間(碓氷峠)でEF63形補助機関車との協調運転に対応した489系電車の製造も開始された。, 本系列は1979年(昭和54年)まで製造が行われ、四国を除く日本各地の特急列車に投入された。当初は主に東京・大阪・名古屋などの大都市圏と交流電化された東北・北陸・九州方面直通特急で、山陽・東北・上越の各新幹線開業後は新幹線連絡特急などで運用された。, 1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には、北海道旅客鉄道(JR北海道)・東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・九州旅客鉄道(JR九州)に継承され、引続き特急運用に投入された。ただしJR北海道へは改造用種車として付随車のサシ481形ならびにサロ481形が継承されたものの、サシ481形1両がオシ24形へ改造されたのみでサロ481形は全車廃車となった。また、1990年代以降では団体専用列車用ジョイフルトレインへの改造も施工された。しかし新幹線の延伸開業などによる運用の減少・老朽化・後継系列への置換えにより廃車が進行。2017年3月3日をもって全ての定期運用が終了した[1]。, 国鉄初の特急型直流電車である151系(旧・20系)は、1958年11月1日より東京 - 大阪・神戸間特急「こだま」として運転を開始した[2]。151系とほぼ同時に急行型の153系(旧・91系)も東京 - 名古屋・大垣間準急「東海」に投入された[2]。, 交直流電車では急行型の451系が、1962年10月1日より上野 - 仙台間の急行「みやぎの」で運転を開始したが、特急型は当初151系交直流版の新製投入が検討されており、451系と同時に上野 - 仙台間特急として投入する予定であったが[2]、東海道新幹線開業で余剰となる151系に交直流化改造を施工する計画があり[注 1]、既存車両を活用する配慮から新製計画は凍結となった[2]。しかし方針が新幹線開業を機に特急列車網整備へ再転換となり、151系交直流化改造は見送られ山陽本線や上越線に転用された[2]。, この結果、一旦は見送られた交直流特急型電車新製計画が再開[2]。1964年12月25日からは北陸本線系統で交流60 Hz用の481系が、1965年10月1日からは東北本線系統で交流50 Hz用の483系が営業運転を開始した[2]。1968年には交流50 Hz・60 Hz両用の485系へ発展した[3]。, 外観は151・161系→181系の流れを踏襲しており、先頭部は同様のボンネット型を採用した。ただし1972年以降製造の後期形クハ481形は、ほぼ同時期に登場した183系電車と同様のデザインに変更されたため定員が8人増加した。, 床下機器の寸法に合わせ床面の高さを近郊形・急行形の車両よりも10 mm高い1,230 mmとし、屋根高さも151系に比べて120 mm高くなった。運用路線のプラットホーム高さに合せるべく扉にはステップを設置し、東北・北陸などの寒冷地区投入を考慮した耐雪耐寒構造で製造された。また側扉は当初は普通鋼製であったが、1968年以降の製造車は内側が無塗装のステンレス製に変更された。, サービス面では側面行先表示に当初は従来通りサボを使用したが、481系・483系では電動自動巻取式方向幕搭載準備工事が国鉄車両としては初めて施工され、1968年以降製造された485系では新製時より搭載された。表示器は当初18コマ、中期形以降は40コマ対応となり後に後者へ統一された。, 冷房装置は、前期形ではAU12形分散式冷房装置1基ないし2基をキノコ形ケースに収め先頭車は5基、中間車は6基を屋根上に搭載する。ただしモハ480形・モハ482形・モハ484形・モハ488形は、パンタグラフや交流機器などの艤装スペースとの関係からAU12形は3基搭載に制限され冷房能力が不足するため車内機器室に床置形のAU41形を3基搭載する。しかし中期形以降では大幅に変更された(詳細は後述)。, 制御方式は、直流電化区間では架線電源をそのまま使用し、交流電化区間では変圧器で降圧後に整流器で直流にする401系・421系電車からの一貫した手堅い間接式の機器構成を踏襲したMM'ユニット方式による抵抗制御を採用。M車には山岳区間での使用も考慮して抑速ブレーキを搭載した自動ノッチ戻し機構付きのCS15系制御装置を、M'車には交流区間で直流電源を供給する主変圧器・主整流器などの機器を搭載するが、対応する商用周波数や製造時期などにより、若干の差異がある。, 主電動機は定格出力120 kWのMT54系直流直巻電動機を特急形電車としては初めて搭載。歯車比22:77(1:3.50)によりMT比1:1でも20 ‰程度の勾配を登坂可能で経済性が向上し最高運転速度は120 km/hとされた。, 台車は揺枕吊を廃止したインダイレクトマウント式空気ばね台車DT32A形を電動車に、TR69A型を付随車に装着。増備中に何度か改良型へのマイナーチェンジも実施した。, パンタグラフは設計段階でBT饋電方式の交直・交交セクション通過時トラブルを懸念して1基搭載案があったものの[4]直流区間では離線対策から2基搭載使用となった。国鉄末期以降は、130 km/h運転を実施していた湖西線を除いて架線の損耗減少対策から原則として第2パンタグラフの使用中止もしくは撤去した。ただしJR東日本の一部車両では架線霜取のため2基使用する。, 横軽区間用協調機器を搭載する489系を除き主変圧器の対応周波数に関係しない制御・付随車は481形が483系・485系でも引続き増備された[注 2]。またサロ481形九州配置車は1980年に食堂車の連結が中止されたため1979年以降に洋式トイレ・洗面所を車販準備室に変更する改造を施工したほか、サシ481形は食堂営業廃止による不連結や他形式への改造により1989年に廃形式となった。, 交流60 Hz対応車で新製時には向日町運転所(→京都総合運転所→現・吹田総合車両所京都支所)へ集中配置された。, 北陸本線金沢 - 富山操車場(現・富山貨物)間[注 3]交流電化完成により1964年10月1日のダイヤ改正で新設された「雷鳥」「しらさぎ」として運用を開始した[5]。モハ481形・480形電動車ユニット11組22両と制御・付随車19両で11両編成x3本と予備車8両の計41両が新製されたが、車両落成が同年10月末と遅れた影響などにより運転開始は12月25日に延期された。, 翌1965年には151系で運転されていた九州特急「つばめ」「はと」の下関以西電気機関車牽引ならびに山陽本線上り広島 - 八本松間補助機関車連結解消目的の置換えで11両編成x5本と予備車1両の計56両増備された。, 本グループ97両は、1975年3月に全車鹿児島運転所(現・鹿児島車両センター)へ転出。電動車のモハ481・480形ユニットは国鉄末期の1985年12月までに全車廃車となった[6]。付随車はサシ481形・サロ481形が国鉄時代に全車廃車となったが、クハ481形は全車がJR東日本へ継承された[6]。, 1965年10月ダイヤ改正で東北本線盛岡電化完成に伴いキハ80系で運転されていた盛岡特急「やまびこ[注 7]」仙台特急「ひばり」電車化用として、1965年 - 1966年の新製後に仙台運転所(現・仙台車両センター)へ集中配置された電動車を交流50 Hz用対応のモハ483・482形とした計52両のグループである。, 電動車ユニットが交流50・60 Hz共用とし国鉄在来線すべての電化方式に対応する3電源形のモハ485・484に変更されたグループで、1968年から1979年まで製造された。, 製造期間は長期に及びその間に大きな設計変更や派生形式の製造などが行われたほか、TM14形主変圧器は冷却ならびに絶縁用に使用されていたPCB(ポリ塩化ビフェニル)油の毒性が問題[注 8]となったため、新造車では1974年(昭和49年)製の1500番台から絶縁油にシリコーン油を使用したTM20形に変更され、それ以前の車両にも交換が施工された。, 1972年(昭和47年)製造車[注 9]は台車の枕ばねをベローズ式からダイヤフラム式へ変更したDT32E・TR69E形となった。, 1972年下半期から製造されたグループで、向日町運転所・仙台運転所・青森運転所に新製配置された。また以下に示す大きな設計変更が実施された。, 上述2形式は定員変更も実施されたため新たにクハ481形では200番台、モハ484形では200番台のほか、後述する600番台の番台区分がされたが、モハ485形・サロ481形・サシ481形は冷房装置以外に大きな設計変更がないために在来車の続番とされた。このためそれまで一致していたMM'ユニットの車両番号が不揃いとなった。, 1974年から製造されたグループ。新たに金沢運転所・南福岡電車区・秋田運転区にも新製配置され、以下の設計変更・改良が行われた。, 函館本線の電化区間であり道央都市間連絡の要となる札幌 - 旭川間では冬期も安定した性能を誇る711系電車による急行「かむい」ならびにノンストップ急行「さちかぜ」が堅調な実績を上げていた。そのため同系をベースとした新型交流専用特急車が計画されたが、TM14形を含む従来形主変圧器の絶縁・冷却に使われていたPCB油の毒性が判明し、油種変更に対応するため計画は一時頓挫した。だが、沿線と北海道総局の期待が強いことと無害なシリコーン油を使用するTM20形主変圧器が開発されたため北海道向けに300番台をベースにした本グループを暫定投入する事が決定。以下の設計変更が行われた。, 1973年度第1次債務で川崎重工業(現・川崎重工業車両カンパニー)と日立製作所笠戸事業所の2社により新造され[10]、22両全車が札幌運転所へ配置された。初年度は耐寒耐雪装備の試用を兼ねた青森運転所への貸渡名目で大阪 - 青森間の「白鳥」に投入された[注 27]。翌1975年1月から順次札幌へ回送され、同年7月18日[注 28]から新設エル特急「いしかり[注 29]」として運転が開始された。, しかし本来は本州地区での使用が前提とされた車両であるため冬期には以下のトラブルが多発した。, これら各種トラブルの根本的解決はなされず1978年には北海道専用特急電車となる781系試作車を開発。1980年には量産車による置換え完了で同年夏までに本番台は全車が青森運転所に転出。分割民営化時には全車がJR東日本に承継された。, クハ481-1015 ジャンパ連結器詳細助士席側KE9形 高圧三相引通運転席側KE70形 総括制御用(右)KE76形 給電区分変更制御用(左), 本系列は元々耐寒耐雪構造ではあったが、それでも冬期の東北地方を走行する「白鳥」や「いなほ」では雪害による車両故障が多発したことから、1500番台および183系1000番台をベースに本州向け耐寒耐雪強化形として1976年から製造された番台区分である[18]。当初は「つばさ」用として秋田運転区へMM'ユニット24組48両・クハ481形12両・サロ481形6両の計66両が、1978年から1979年にかけて秋田運転区への増発対応用としてMM'ユニット32組64両・クハ481形18両・サロ481形2両の計102両が、青森運転所へ在来車に代わる増備車としてMM'ユニット28組56両・クハ481形13両の計69両、全体で237両が新製されたグループである。, 1978年製造のクハ481-1013ならびにモハ485・484-1025以降の車両は以下の設計変更が実施された。, サロ481形は将来の短編成化やモノクラス化を想定して8両が新製されたのみで、新製時から本番台区分への改造を前提にし、後に1051 - 1056へ改造された115・116・122・123・127・128を加えて14両全車が当初は秋田運転区配置とされた。, 本区分番台では食堂車のサシ481形は逼迫する当時の国鉄財政の観点から新製されず、AU13E形冷房装置を搭載する基本番台中期型以降の車両に引通線増設などの対策を計14両へ改造施工し充当した。このうちサシ481形は改番せず原番号のまま、サシ489形からの改造車は横軽協調運転装置を取り外した上でサシ481形80番台への改番を併せて実施。本工事はすべて土崎工場が担当し、全車秋田運転区に配置された[注 39]。, 1979年6月19日に川崎重工業が製造したモハ485・484-1085 - 1088・クハ481-1040 - 1043の落成を最後に本系列の製造が終了した。, 分割民営時にモハ485・484-1001 - 1006・1025 - 1029がJR西日本に、他はJR東日本に承継された。, 2016年4月現在で仙台車両センターA1・A2編成に組成されるモハ485・484-1032・1077の2組4両とクハ481-1015・1016の2両、計6両が車籍を有していたが、同年6月19日のラストランを最後に運用を離脱、同年8月4日付で廃車された[21]。, 信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠は最大66.7 ‰の急勾配区間であるため通過車両はEF63形の推進・牽引による無動力運転となる上に台枠・連結器の強化などの通称横軽対策が必要で電車は最大8両編成までと制限されていたが、1967年に165系電車をベースに開発された169系電車ではEF63形と協調運転を行うことにより12両編成まで増車することが可能となった。また1972年3月15日ダイヤ改正でそれまで客車急行で運転されていた「白山」の特急格上げ[注 41]が決定し、同列車用として485系に協調運転装置を搭載した派生系列が489系である。したがって485系とは基本設計は共通としながらも以下の相違点が存在する。, 1971年 - 1974年までにTc14組28両・Ts28両・MM'ユニット42組84両・TdならびにTが12両の新製車164両と181系・485系からの改造車4両で12両×14編成計168両が落成。本来の目的である信越特急「白山」「あさま」「そよかぜ」のほか、「雷鳥[注 44]」「しらさぎ」「北越」「はくたか」でも運用された。, 1978年 - 1979年に編成組成ならびに運用変更の点からサロ489形1000番台10両を追加新造。分割民営化時にはJR東日本へ28両、JR西日本へ108両が承継された。新製車174両のほか国鉄時代にサシ181形からの改造車が2両、サハ481形からの改造車が2両、分割民営化後の1990年にJR東日本がサロ481形から2両を改造編入をしたため総車両数は180両であるが、編成組成や用途変更による他形式への改造や廃車があるため全車両が一斉に揃ったことはなく、サシ489形は1988年に、サハ489形は1991年に廃形式となった。, 1997年の北陸新幹線長野暫定開業による信越本線横川 - 軽井沢間廃止で存在意義を失った[注 45]ことや老朽化によりJR東日本所属車のうち長野総合車両所配置車は2000年までに廃車となり、保留車であった新潟車両センター配置のサロ489形2両も2010年までに廃車。JR西日本所属車も他系列への置換えで2012年までにほとんどが廃車となり、2014年10月時点では金沢総合車両所配置のクハ489-1のみが車籍を有していたが、2015年2月13日付で廃車となり廃系列となった[22]。, 485系のデザイン過渡期と同時期に製造されたため対応する区分番台が存在しており、以下でそれぞれに新製車について解説を行う。, 485系0番台に準ずるグループ。ただしクハ489形はクハ481形100番台に準じており、MH129-DM88型210 kVA MG[7]を床下に、ボンネット内部に容量2,950 L/minのMH92B-C3000A型CP[8]を搭載し、下り方0番台・上り方500番台に区分されるほか、1971年製造車と1972年上期製造車では以下の差異が存在する。, なお、1971年製造2編成分のサハ489形は1972年に1両を新製。「白山」運転開始から8か月経った同年11月にサハ481形を改造し充当されたが、本グループでは後にCP搭載の追加改造を施工。またサシ489形は編成数に対して1両製造数が足りないが、サシ181形改造の100番台を充当して対応した。, また、サロ489形・サハ489形は1986年までに他形式への改造種車となった。サシ489形は3・4が1985年以降保留車となったままJR西日本に継承。1988年3月にスシ24 1・2へ改造され廃形式となった。一方でクハ489形とMM'ユニットは全車JR西日本が承継。一部は「能登」をJR東日本へ移管する2010年まで運用された。, 485系200番台と同じく先頭車貫通化や冷房装置変更などが実施された1972年下期以降製造のグループである。, 1975年3月10日ダイヤ改正で金沢運転所では、「雷鳥」増発分ならびに「しらさぎ」運用が向日町からの移管により担当となること。485系との共通予備車とする目的から1974年に製造された485系300番台に対応するグループ。普通車座席を簡易リクライニングシートにしたほか、以下の設計変更が実施された。, 1978年10月ダイヤ改正では、共通運用となった「白山」「はくたか」は三相回路配電盤搭載のサシ489形とCP搭載のサハ489形が編成から外れることになった。また編成が同年7月以降3MG・3CP化を実施した上で暫定6M4T→8M4Tとなることから[注 52]、サロ481形1000番台と同様に210 kVA MGとC2000形CPを搭載した上で協調運転装置を装備するグリーン車として1978年に9両、1979年に1両の計10両新製されたのが本番台区分である[注 53]。また本グループのみ台車はTR69H形を装着する。, 1004が1988年にMG・CPを撤去しサロ489-101に改造され、それ以外の車両もクロ481形・480形へ改造されたため1991年までに廃区分番台となった。, 485系・489系の改造車は、軽微な引通線改造や電装解除、車体構体を載せ換える大掛りな物まで多種多様であり、車両番号の変更のない改造もある。特記する場合を除いて施工工場等は、当時の名称で表記する。, 1968年10月1日のダイヤ改正で東北特急は上野方先頭車をクロ481形とした9両編成に統一されることになり、仙台運転所所属のサロ481形全車[注 54]に郡山工場で施工した先頭車化改造である。, 改造は種車の車体一部を分解し、当該台枠上に車両新製時と同様の方式でボンネット型運転台を組上げる工法が採用された。その際に台枠の延長は行われていないためクハ481形0番台よりも全長が短いほか、新製車の0番台も改造車の設計に合わせたことから差異はない[注 55]。, 改造後も仙台所属で運用されたが、1975年に7両とも南福岡電車区に転出。国鉄時代に52・54が余剰老朽化で、53が事故で廃車となった。残りはJR九州に承継されたが1995年までに全車廃車となった。, 1990年にJR九州小倉工場(現・小倉総合車両センター)がクハ481-243へ施工した全室グリーン車化改造。出入台前位に乗務員室を増設したため乗降扉横の窓が2分割されており、シートピッチ拡大により窓配置は一致しないほか、座席は落成時が通常の2+2配置とされたものの1991年以降に実施された2+1の3列配置へグレードアップが施工された。1両のみの区分であったが2000年に廃車。, 1989年3月11日のダイヤ改正で「スーパー雷鳥」が運転開始されることに伴い、同列車充当金沢運転所R編成用に吹田工場でサロ489形1000番台・サハ481形100番台へ施工した制御車化ならびにグレードアップリニューアル改造である。, 2101は種車がサハ481-118となるための区分で窓配置・車体長・搭載機器配置・台車形式が異なるが、以下は共通する施工内容である。, 2001年3月3日のダイヤ改正で683系「サンダーバード」投入により「スーパー雷鳥」が廃止されたため塗装変更と内装リニューアルを施し同年7月12日より「しらさぎ」用Y編成に転用。2003年7月19日に「しらさぎ」も683系へ置換えられたため京都総合運転所へ転出。旧国鉄色へ塗色変更し「雷鳥」用A01 - A06編成に組成され同年9月20日から2011年3月11日まで運用されたのちに全車廃車となった。, 1990年から「かがやき」と運用分離されていた「きらめき」も1992年3月14日のダイヤ改正でモノクラス4両→6両グリーン車組込編成で共通運用化されることになり、松任工場でクハ481-224に施工した以下のグリーン車化改造で後述する2300番台とほぼ同様の内容であるが、本区分は種車がクハ481形200番台によるものである。, 1997年3月22日のダイヤ改正で「かがやき」「きらめき」が廃止となったため旧国鉄色に変更し「加越」「北越」に転用。さらに2002年には「加越」専従のK編成に組成されたが、2003年10月1日のダイヤ改正で「加越」が「しらさぎ」に統合され683系化されたことから余剰となり廃車。, 1991年に「かがやき」用S編成へグリーン車連結のため吹田工場でクハ481形300番台を種車にグリーン車化改造を施工した区分。改造内容は前述の2201に準ずる。, 1997年3月22日のダイヤ改正で「かがやき」「きらめき」が廃止となり、2301は旧国鉄色に変更され「加越」「北越」用に、2302・2303は新塗装に変更し「はくたか」用V編成に転用されたが、2002年3月23日のダイヤ改正で「はくたか」の681系置換えにより後述2両も旧国鉄色へ変更した上で2301も含めて「加越」用K編成へ転用された。, 2003年に「加越」の「しらさぎ」統合ならびに683系化で余剰となるが、3両とも京都総合運転所へ転出して「雷鳥」用A編成に組成転用された。2009年に「雷鳥」運用減で福知山電車区へ転出し183系化改造が施工されたが、2011年に廃車となった。, 「スーパー雷鳥」編成に組成されていたクロ481-2001 - 2005・2101は、2001年に「しらさぎ」転用されたが、その際に基本編成は6本→7本になることからクロ481形は1両不足となった。このためクハ489-301に金沢総合車両所で施工したグリーン車化改造である。, 2201・2300番台と同様に座席は2+1配置12列の定員36名へ変更したほか、床面を50 mm嵩上げ。車掌室ならびに業務用控室は省略する。2300番台とほぼ同様の改造形態であるが、種車が2300番台はクハ481形300番台であるのに対し本車はクハ489形300番台による区分であり、CPは床下搭載となるために助手席(1位側)下部のCP用機器搬入口が無く、前面ジャンパ連結器もクハ489形時代のままで側面方向幕の客室窓上移設は未施工でトイレ・洗面所設置のままなど相違がある。, 1984 - 1985年に「有明」短編成化に伴いサロ481形を鹿児島車両管理所ならびに小倉工場で鹿児島方に連結される制御車化改造を施工した区分。クロ481形50番台とは異なりクハ481形300番台車に準じた運転台を台枠ごと接合したことから外観および定員などは大きく異なるほか、短編成での組成であったことからMG