ライフスタイル, 江戸時代の江戸など大都市圏における、男性の未婚率はなんと5〜6割でした。彼らが「おひとり様」なのは、女性が極めて少なかったから。男女比は7:3で大半の男性はあぶれてしまったんですね。, 江戸時代、とくに大都市圏で未婚率が高いのは、フリーターばかりだから。世継ぎに受け継がせるべきステイタスや知識・技術がハッキリしている士農工商のいずれにも属していないのです。「家」制度の外に出てしまったら、わざわざ結婚する意味もない、と割り切れていたのかもしれません。, 男の「おひとり様」でも、独身仲間とワイワイ暮らせる長屋もたくさんありました(家賃も現代の感覚で、水道費コミ、月数万円弱)。しかし、そんなある意味、自由な男性たちを尻目に、女性は女性であるということだけで、基本的に一度は結婚させられました。, ところが……、江戸時代でも都会にすむ実家がリッチな女性の場合は、事情がすこし違いました。「結婚したらどーせアンタも苦労するんだから、それまでは遊んででいいよ」との親心でしょうか。女性が少ないんだから、別に多少遊んでも(それが男性に多少バレても)、結婚に差し障りなんてないよね、という甘えもあったのかもしれません。, リッチな若い女性たちは、自分と同じようなお坊ちゃま(若衆)たちとの遊びの恋はもちろん、「役者買い」なんかをしてしまうこともありました。金で好みのイケメンを買って寝る、というさばけた行為ですね。処女でいる意味は薄く、結婚前に妊娠さえしなければ、それでよいとする考え方です。, ドライですねぇ。いくら家がリッチだろうと、身分が「庶民」の女性の場合、結婚するまでは、恋愛の自由はありえたのです。そんな彼女たちも一度は結婚するのですが、ダメだと思うとすぐに別れてしまいました。再婚相手を探すもヨシ、自活をするのもヨシ……ということで隠れた女性の人気職業が「妾」だったんですね。, 妾は古くは「しょう」と発音。次第に「(男が)目をかける」という意味で「めかけ」と言われるようになりました。さらに妾とは、妻公認の存在なんですね。だから、妾との関係ですら、すくなくともタテマエ上は「浮気なんかじゃない」ということになっていたのです。, さすが日本、古くからタテマエ社会です! しかも、同じ愛人枠でも(武家に多い)「側室」の類とは違い、妾は別宅を与えられる存在でした。ここから転じて、江戸時代の妾は自営業者にもなりえました。一人の男に縛られる結婚なんてしたくもないけど、実家の両親の世話にもなりたくない女性、今でもいますよね。こういう時、江戸時代では働く場所も限られているので、彼女たちは妾になっちゃったのです。, 生真面目に住み込みの女中になっても食費や家賃は要らないかわり、お手当は年に数十万円程度しかありません。しかし、妾の派遣会社である口入屋(くちいれや)に登録、イイ旦那を紹介してもらえると、毎月、数十万〜五十万円に相当するお手当を得ることができました。江戸時代の妾は大体が2カ月契約で、契約が更新されるかどうかは旦那次第。ホントに派遣社員っぽいでしょ?, しかも、妾は側室とは違って、一人の男性のために尽くすのではなく、複数の男性と関係を持つことが認められてたんです。江戸時代後期の頃からコストに厳しい関西から登場、後には江戸でも大流行した「5人の男性で、1人の女性をシェアする『安囲い』」のシステムは有名でございます。, 『安囲い』は、お互い男性同士が鉢合わせしないように、スケジュールをやりくりして通ってくる相手を妾の女性は迎えるだけ。週1回×月3回のペースが平均だったらしいので、5人の旦那がいたら月収50万円ほどで、ひとつきの半分が休日!, 病気や妊娠の怖さはありますが、ちょっとでも外見に自信のある女性なら挑戦したい隠れた人気職業だったそうな。そもそも昔の日本で「浮気」といえば、陽気で華やかという意味が強かったのですが……この妾、まさに浮気な商売じゃないでしょうか。, しかし現実はもうすこし堅実志向な女性が多かったみたいです。彼女たちの多くは自分で稼いだお金と、空いた時間で三味線や踊りを習い、愛人業を卒業後は「お師匠さん」として、悠々自適の「おひとりさま道」を進んでいったようです。, -----------著者:堀江宏樹角川文庫版「乙女の日本史」を発売中-----------, ファミリーマート新商品が10日で200万食の爆売れ オリジナルスイーツ史上最速のペース, 「プロポーズの瞬間がキタ!」と女が期待したら…。交際3年で男が放ったショッキングな一言. 王妃と側室の違いは? 一般的に王妃は「朝廷・大妃を初めとする王室関係者の審査を通った筋金入りの資質・良家の子女」で、側室は「朝廷勢力に左右される場合もあるが、王のお気に入り」と言われてい … 大学の中世史の教授は範囲が違いすぎて分からないとのことです。 ... さっきアメリカが国家非常事態宣言を出したそうです。ネットで「これはやばい」というコメントを見たのですが、具体的に何がどうやばいんですか?. どういうものか教えてください! (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}). そこには締め切り前の予約は対象とありますが、仮に今月の残り全てに予約を入れた場合、それらも500ー1000ポイン... 私ファッションに疎いのですが、ユニクロとコラボしているジルサンダーというブランドはすごいブランドなのですか?朝からすごい行列をつくっていたようですが。, https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13160864703. 側室と妾の違いは何なのですか? 妾と側室の意味に違いはありません。辞書でも同じ意味として扱われてると思いますよ(^o^)本妻の事を妻と呼ぶ時に本妻ではない妻を妾と呼び本妻の事を正室と呼ぶ時に本 … また、ひき逃げした人はもらえるもんですか?, 銃といえば、よく「AK」という言葉を聞きます。AKっていう銃でしょうか?なんか「AKはすごかった」みたいなのも聞きます。 世間のイメージとはそういうものなのでしょうか?, MSNを閲覧すると下記のメッセージが出ます。 女房・侍女・側女・腰元といえばいずれも聞いたことのある言葉ではありますね。 ただし、本来の意味や使い方など正しく理解できているとは言い難いかもしれません。 ここでそれぞれの意味について … しかも、同じ愛人枠でも(武家に多い)「側室」の類とは違い、妾は別宅を与えられる存在でした。 ... 11. 側室の関連情報. ベストアンサー:あくまで、私の推測なので、資料などに記載がないことを前提としてください。 蒲生秀行が生まれたのが天正11年。氏郷がキリシタンになったのが天正13年ころです。そう考... 旭日双光章は立派なものですか?ちなみにどんな人がもらえるんですか? 私はそれを聞いて最初は嬉しかったけど、だんだん不安になってきました。 エピソード多め, 徳川秀忠には小姫おひめという許嫁がいましたが、小姫が婚姻前に若くして亡くなってしまいます…。, 後日継室(後妻)として迎えられた江(後の崇源院)が正室となり、秀忠にとっては継室ながら江とが初婚となります。, その理由や女性事情とは違うエピソードなどは、下記にて記載しております。 No reproduction or republication without written permission. ニューストップ 「女房(にょうぼう)」「侍女(じじょ)」「側女(そばめ)」「腰元(こしもと)」。いずれも女性の役職・立場を表している言葉です。, これだけではザックリしすぎていてわかりずらいと思いますので、ここからはそれぞれについて詳しく解説していきます。, よく普段の会話の中で「うちの女房が~」などと男性が話すのは聞いたことがありますね。, 一見非常に身近な言葉ですが、本来は一般の人が軽々しく口にすることのできない言葉だったかもしれません。, 現在でも、公共の空間である【堂】に対する言葉として【房】を使うこともあるようですが、例えば【食堂】に対した【厨房】がそのような感じでしょうか。, 近年はオープンキッチンのお店のように、厨房が開かれてしまっている場もあるので少しわかりにくい面もありますね。, この『部屋』を与えられるような位の高い女官、高貴な方に仕える女性を指す言葉として「女房」が使われていました。, 内裏にて天皇に直接仕える人もいましたが、私たちが歴史の中でよく聞く「女房」たちは天皇の妃やその実家に仕えた人で、有名や清少納言は藤原定子中宮に、紫式部は藤原彰子皇后に仕えていたことは知られていますね。, 先に挙げた2人の有名人をはじめ、特に平安時代の「女房」たちはその文化にも大きな影響を与えました。, 平安期の国風文化を語る上で外せない「かな文字」ですが、これは知識豊富な「女房」たちが生み出し発展させていきました。, 彼女たちは元々地方の役人階級の子女達ですが、その中でも特に教養に優れた人々を集めたとされています。, 天皇の妃が多く住む後宮の中で、より多く天皇に通ってもらい、わが娘に子を成してもらいたいと考えた貴族たちは、天皇の気を引くためにも彼女たちの才能と生み出す作品を利用していきました。, 特に摂関政治で最も知られている藤原道長の長女、彰子皇后の下には『源氏物語』の紫式部を始め、歌人としても有名な和泉式部、百人一首の“古の奈良の都の八重桜、けふ九重ににほひぬる哉”の句で有名な伊勢大輔など多くの有名女流文化人が仕えていたようです。, 平安期以降も、宮中に仕える女官としての「女房」は存在しますが、徐々に意味合いを変えていきます。, 元々お妃に仕える使用人としての立場から、近世では主人のお手がついて子を持つとほぼ側室と同等の扱いの「家女房」という言葉もでてきました。, 一夫多妻制ではないので微妙ではありますが、時代がたつにつれて「女房」という言葉の持つ身分が上がっているような感じがしますね。, 例えば、野球のピッチャーに対してキャッチャー、総理大臣に対して官房長官などをそのように呼んでいます。, これら女性の職の位置関係を見ますと、上から女官⇒侍女⇒雑仕女(ぞうしめ)という感じでしょうか。, 古代から明治期には朝廷で男性の「侍従:じじゅう」に対する女性の役職として「侍女」がいました。, 「侍従」が秘書のような側近のことを指しているので、こちらもお化粧など女性ならではの身の回りのお世話をしていたと思われます。, 「侍女」は朝廷以外にも貴族そして大名の正室などに仕えていました。武家では行儀見習いとして一族の子女を仕えさせたりしていたようです。, ちなみに実際のさまざまな家事をする使用人は雑仕女(ぞうしめ)と呼ばれていましたが、こちらは皇族には直接会えない立場の上、基本的には無位でした。, ただ、見目麗しい人は高貴な人に見染められることもあり、九条院の雑仕女をしていた常盤御前が源義朝に寵愛されて義経らを産んだことは知られています。, 当然1人では足りませんので宮家で私的に「侍女」と呼ばれるお手伝いを雇っているようです。, こちらはどこまでのお仕事かは分かりませんが、お手伝いさんなので、身の回りから家事全般が含まれるのかもしれませんね。, 貴族に雇われているのは同様ですが、賃金ではなく住まいや食事を報酬として受け取っていました。, 主人の付き添いでの旅行等にも行っていたらしく、社会的地位も“召使い”より高かったと言われています。, また、よく聞くメイドは18世紀以降に家事使用人として雇われていた人の事ですので、「侍女」とは違います。, 「腰元」というとTVで見るバラエティー番組の殿様やお姫様に仕える女性達を浮かべる人が多いと思いますが、彼女たちが本当に「腰元」なのでしょうか。, 「侍女」と「腰元」は同じように高貴な人々に仕え身の回りのお世話をする人といわれます。, 特に【腰元】とは腰回りを表す言葉でもあるので、より身近な仕事をする人…という印象のようですが、実際はほぼ同義で定義されています。, 本来「腰元」とは上流の商家に仕えた「侍女」のことや、遊女宿で主人の雑用をこなす人を指していました。, TV等にみられる武家の御屋敷や大奥などで雑用をこなす女性らは正式には「奥女中:おくじょちゅう」と呼ばれていました。, この人たちのことを「腰元」と呼んでいるようなのですが、これは芝居やメディアの影響が大きかったそうです。, 「女房」「侍女」「腰元」は元々の役割は使用人ですが、その後主人の寵愛を頂き、子を成した場合になる可能性があったのが、本妻以外の“妻”としての役割を持つ「側女」となります。, 公家や大名などの身分の高い家の本妻のことを「正室」といい、この「正室」以外の妻のことを「側室」といいますが、「側室」の別の呼びかたが「側女」や「妾」となります。, 豊臣秀頼の母である淀殿などが有名ですね。江戸期にはその権力をめぐって大奥にて沢山争いが起きていましたね。, ちなみに天皇の妃の場合は、律令下では皇后⇒妃⇒夫人など、そして平安期以降は皇后⇒中宮⇒女御などのその地位に応じた名称で呼ばれ、「側室」とした呼び方はしてないようです。, 追加知識ではありますが、「正室」「側室」と同じような言葉で「継室:けいしつ」という言葉があります。, 例えば徳川家康は正妻の築山殿を失った後、豊臣秀吉の妹旭をむかえて、彼女は駿河御前と呼ばれていました。, 経済的な支援も伴うため、以前は男性の甲斐性などとして容認されていた点もあったようです。, ✔ 「腰元」は本来商家の「侍女」などを指していたが、武家でも同様の仕事をしている「奥女中」の意と同じのようになった。, ✔ 「女房」「侍女」「腰元」は元は使用人だが、主人の寵愛を受けて「側女」となることもあった。, ✔ 「妾」が「側女」と同意であるが、現憲法下で重婚は罪であることからも、「妾」は近年では表立っては容認されてはいない。. 大奥にはたくさんのしきたりがありますが、この記事では「将軍と過ごす夜」のしきたりについてまとめてみました! 将軍は何でも好き放題!・・では無かった大奥 「大奥」といえば将軍のハレームというイメージがあります。 さぞかし将・・・