2020 All Rights Reserved. ロケTV , 白虎の誇り 胸刻み 戦後は昭和23 野村俊夫・古関裕而・伊藤久男の3人が福島県の出身だったことから「福島三羽ガラス」と呼ばれ、戦時中に数多くの曲を手がけました。 戦後から晩年. 修身専念 先人の Copyright© 【エール】裕一が作曲する校歌(福島吾妻尋常小学校)モデルは?古関裕而が作曲した校歌もまとめます, 「おちょやん」富川福助の子供時代 子役・松本和真は「べっぴんさんスピンオフ」にも出演, 「おちょやん」岡田みつえの子供時代 子役・岸田結光は「わろてんか」「べっぴんさん」にも出演, 【エール】母校「福島信夫小学校」校歌 エピソードのモデルは福島商業高校校歌「若きこころ」か, 「監察医 朝顔」ロケ地 三陸鉄道リアス線・甫嶺駅(東北の海沿い「仙ノ浦駅」のシーン). 朝ドラ「エール」に登場する村野鉄男(キャストは中村蒼)のモデルとなった福島県出身の作詞家・野村俊夫の生涯を紹介します。, 野村俊夫(のむら・としお)は、明治37年(1904年)11月21日に福島県福島市大町で、魚屋「魚忠」を営む鈴木忠八の3男として生まれました。, 野村俊夫は福島市立第一小学校を卒業後、福島商業学校へと進学したのですが、病気や家庭の事情により中退しました。, 中退後、福島県の富豪・角田林兵衛の家に2年間、奉公していたのですが、密かに勉強していた事が奉公先にバレてしまい、「そんなに勉強したいのなら、家で本格的に勉強しなさい」と言われ、実家へ返されてしまいます。, その後、3年ほど家業を手伝いながら、勉強を続け、20歳の時に福島民友新聞社へ入社し、報道部の新聞記者として奔走しながら、文芸欄も担当しました。, 昭和5年、幼なじみの作曲家・古関裕而が日本コロムビアの専属契約するために上京します。, 野村俊夫は古関裕而に誘われて、福島民友新聞社を辞めると、昭和6年3月に姉テウを頼って上京しました。, 野村俊夫は、仕事をしながら純粋詩を書くために上京したのですが、福島時代に作詞した「福島行進曲」が古関裕而のデビューレコードに採用され、フリーの作詞家として活動を開始しました。, しかし、リベラルな思想を持っていた野村俊夫は、国の意向に背くような歌詞ばかり書いていたので、ことごとく検閲で棄却され、ブラックリストの筆頭になってしまい、レコードの仕事が出来なくなってしまうのでした。, 妻と2人の娘を抱えていた野村俊夫は、生活のために方針を転換し、昭和14年に戦時小唄「ほんとにほんとに御苦労ね」を作詞してヒットさせます。, そして、昭和14年の「上海夜曲」が大ヒットし、野村俊夫は日本コロムビアの専属となって、ようやく安定した生活が送れるようになりました。, さらに、昭和15年には、福島出身の古関裕而・伊藤久男と手がけた「暁に祈る」が爆発的にヒットしました。, 野村俊夫・古関裕而・伊藤久男の3人が福島県の出身だったことから「福島三羽ガラス」と呼ばれ、戦時中に数多くの曲を手がけました。, 戦後は昭和23年に、作詞家・古賀政男とのコンビで「湯の町エレジー」を大ヒットさせます。, その後は、ジャスラックの理事に就任して、音楽家の権利拡大に奔走する一方で、作曲家の古関裕而・古賀政男らとともに数多くの歌を作り、島倉千代子や美空ひばりにも歌を提供しました。, 野村俊夫は、昭和40年にジャスラックの常務理事を辞任します。経営問題の責任を取って辞めたらしいです。, その後、昭和41年(1966年)9月30日に十二指腸潰瘍の手術を受けたのですが、手術後の腸閉塞により、昭和41年10月27日に死去しました。62歳でした。, 朝ドラ「エール」のモデル一覧は『朝ドラ「エール」のキャストとモデル』をご覧ください。. 我等の郷に栄えあれ nhk連続テレビ小説「エール」第22週では、裕一と鉄男が母校・福島信夫小学校の校歌を共作する様子が描かれていきます。 このエピソードは、二人のモデルである古関裕而(作曲)と野村俊夫(作詞)が母校のために共作した福島商業高校校歌「若きこころ」がモデルではないかと予想します。 献身尊崇 心寄せ 我等の郷に幸多かれ NHK連続テレビ小説「エール」第22週では、裕一と鉄男が母校・福島信夫小学校の校歌を共作する様子が描かれていきます。, このエピソードは、二人のモデルである古関裕而(作曲)と野村俊夫(作詞)が母校のために共作した福島商業高校校歌「若きこころ」がモデルではないかと予想します。, 昭和26年。鉄男(中村蒼)は木枯と作った「湯の町エレジー」でヒットを記録した後、スランプに陥っていました。そんな鉄男を見かねた裕一(窪田正孝)は、鉄男に対し母校・福島信夫小学校の校歌を作詞してほしいと依頼します。, 振り返ると「エール」第1話(昭和39年10月10日・五輪開会式当日のシーン)では、裕一の母校である福島信夫小学校(※)の教室に、裕一作曲・鉄男作詞による校歌の額縁が飾られていました。(※)裕一と鉄男が通っていた当時は福島師範学校付属信夫小学校。, 長い時を経て、ようやく第1話の伏線が回収されそうです。以下、第1話で教室の額縁に飾られていた校歌の歌詞。ドラマのオリジナル曲と推測されます。, 吾妻の嶺を仰ぎ見し 伊藤久男は、福島県生まれの歌手。 古関裕而の1つ年下で、古関の作品をたくさん歌っています。 古関の指揮で歌う伊藤の姿はこちら。 動画は1975年ですから、古関66歳・伊藤65歳の頃です。 ダイナミックな歌にすっか … 郷土の護りならんとす, 参考:これとは別に第11週放送では、裕一が恩師・藤堂清春からの依頼を受けて福島吾妻尋常小学校の校歌を作曲しています。この福島吾妻尋常小学校は裕一と鉄男の母校ではありません。このエピソードは、古関裕而が恩師・遠藤喜美治の母校である要田小学校の校歌を作曲したエピソードがモチーフになっていると考えられます。, ・【エール】裕一が作曲する校歌(福島吾妻尋常小学校)モデルは?古関裕而が作曲した校歌もまとめます, 裕一のモデル人物・古関裕而は、福島県師範附属小学校(現在の福島大学附属小学校)に通っていました。この学校が「エール」劇中の福島師範学校付属信夫小学校(後に福島信夫小学校)のモデルと考えられます。, ただし、福島大学附属小学校の校歌(リンク先に歌詞あり)は作詞・古関吉雄、作曲・岡本敏明によるものであり、古関裕而・野村俊夫コンビが共作したという事実はありません。, この福島大学附属小学校校歌の作詞を手掛けた古関吉雄さんという方は、古関裕而の従兄弟に当たる人物で、郡山市の開成小学校、郡山第三中学校、郡山第四中学校の校歌の作詞なども手掛けたそうです。, 古関裕而、野村俊夫の幼なじみコンビが母校の校歌を作曲したというエピソードで思い当たるのが、二人が青春の時代を過ごした母校・福島商業高校(旧制福島商業学校)の校歌「若きこころ」です。, 昭和32年、福島商業高校は創立60周年を迎えたことを記念して、新しい校歌「若きこころ」を披露しています。この「若きこころ」こそが、作曲・古関裕而、作詞・野村俊夫の名コンビによるもの。「エール」で裕一と鉄男が母校の校歌を作り上げるストーリーと重なります。古関裕而はこの時、「若きこころ」の歌唱指導やスピーチなどを現地の生徒に行ったようです。, 「若きこころ」の歌詞には「雲白き吾妻の嶺よりなお高く 理想に燃ゆる若きこころ」「師の教え守りて」といった言葉が並んでおり、前述したエール劇中・福島信夫小学校校歌の「吾妻の嶺」「先人の尊き教え敬いて」といった歌詞内容と類似しています。, 古関裕而の福島商業学校に対する母校愛は相当なものがあったようで、昭和5年の上京前に作曲した「福商青春歌」に始まり、野球部の応援歌「久遠ののぞみに」、それに「福商剣道部歌」「修錬隊の歌」など、母校の応援歌などを多数作曲しています。, 「エール」では鉄男が少年時代に家族と夜逃げをしたため、鉄男は裕一が通った福島商業学校には通っていません(鉄男は夜逃げ後、藤堂先生に紹介された新聞社で新聞配りとして働き、なんとか生き延びています)。そのため、二人が後年に商業高校の校歌を共作するというストーリー展開には無理があり、史実とは違う小学校の校歌を共作するという展開になったと考えられます。. 強度の礎ならんとす, 阿武隈川に抱かれし 尊き教え敬いて