都内在住のクラシック・ファンです。クラシック音楽の楽曲に関する話題を中心に、音楽・芸術・哲学・文学・美学などの話、聴きに行った演奏会や観に行った展覧会の感想、その他日常の諸々を含め、適当な文章を書き綴っていきます。「ボクノオンガク」というブログ名は、よくあるパソコンの音楽フォルダ名“My Music”の和訳と、小澤征爾さんの本『ボクの音楽武者修行』から。著者のプロフィールはこちら。.

7: Dithyrambic abandon | Gardiner and the ORR on Beethoven's Symphonies, 初演は、ナポレオン戦争のさなか、1813年12月8日にウィーン大学の講堂で、ハーナウ戦役傷病兵の救援資金調達のためのチャリティー演奏会において行われました。, ナポレオンがロシア遠征に敗れ、今こそナポレオンをやっつけろ、という愛国的雰囲気の中でのコンサートで、英国の英雄ウェリントンがスペインでナポレオン軍に勝利したことを讃えて作った『ウェリントンの勝利 またはヴィトリアの戦い(戦争交響曲)』も同時に初演され、大喝采を浴びました。, コンサートはベートーヴェンが指揮し、サリエリ、シュポーア、フンメル、マイアベーア、シュパンツィヒといった、当代一流の音楽家が参加した華々しいものでした。, 好戦的な社会的雰囲気の中で、元気で勇壮な第7シンフォニーは大いに受けたわけですが、哀切極まりない第2楽章が異例にもアンコールされたということは、戦争での死傷者への思いもあったということでしょうか。, ナポレオンが敗退してエルバ島に流され、全ヨーロッパの王侯貴族が参集したウィーン会議では、何度もこのシンフォニーが演奏され、ベートーヴェンの全欧的名声は、この曲で確立したのです。, かつて、ナポレオンを尊敬して『エロイカ』を作曲したベートーヴェンにとって、何とも皮肉なことです。, ともあれ、今こそこの元気いっぱいな曲を聴いて、コロナ禍を吹き飛ばしてしまいたいところです。, 【Apple Music のおすすめ】ブログ中の 試聴プレイヤーは、Apple Music会員としてログインすると全曲を聴くことができます。Apple Musicは、完全に広告なしで、オンラインまたはオフラインで5,000万曲以上を聴くことができます。特にクラシックの収録曲は充実しており、同じ曲を様々な演奏者、録音で聴き比べることができ、CDを買うより相当にお得です。料金は定額制で学生¥480/月、個人¥980/月、ファミリー¥1,480/月です。, 当サイトはGoogle及びGoogleのパートナー(第三者配信事業者)の提供する広告を設置しております。その広告配信にはCookieを使用し、当サイトへの過去のアクセス情報に基づいて広告を配信します。, DoubleClick Cookie を使用することにより、GoogleやGoogleのパートナーは当サイトや他のサイトへのアクセス情報に基づいて、適切な広告を当サイト上でお客様に表示できます。, お客様は下記のGoogleアカウントの広告設定ページで、インタレスト ベースでの広告掲載に使用される DoubleClick Cookie を無効にできます。また aboutads.info のページにアクセスして頂き、インタレスト ベースでの広告掲載に使用される第三者配信事業者のCookieを無効にできます。, その他、Googleの広告におけるCookieの取り扱い詳細については、Googleのポリシーと規約ページをご覧ください。, suganneさんは、はてなブログを使っています。あなたもはてなブログをはじめてみませんか?, Powered by Hatena Blog

先程ブログ記事を拝見いたしましたが、 ゆきさな様の記事も、機会がありましたら

ベートーヴェン 交響曲第7番 イ長調 作品92 もし、単純にcdをかけて「聴く」という点だけで言えば、ベートーヴェンの交響曲第7番は、ベートーヴェンのいわゆる「ベートーヴェンらしさ」を最も感じることのできる作品だと思う。もちろん、どの録音でもそうだ、とは言えない。

よくこの曲の解説で言われるのは、ワーグナーがこの曲を「舞踏の神化」(Apotheose des Tanzes)と評したという話や、リズムが中心となって音楽が構成されているという話である。このワーグナーの評の意図はもちろん音楽史の流れの中で解釈しなければならないし、リズムが際立つ曲であることは紛うことなき事実である。しかし、そういう観点から語るだけでは、この交響曲が生み出す本当の芸術的価値は論ずることはできないだろう。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 基本的には自由に使っていただきたいのですが、実用目的で使いたい方はこちらのページをご一読ください。, ブログに書いていない音楽の話やオススメの音盤などをつぶやいています。お気軽にフォローしてください!, 【番外編】ジャック・ルーシェ・トリオ:ベートーヴェン 交響曲第7番 第2楽章 テーマと変奏, クレメンティ ピアノ・ソナタ ト短調 作品50-3「見棄てられたディドーネ」:私を見棄てないで. もし、単純にCDをかけて「聴く」という点だけで言えば、ベートーヴェンの交響曲第7番は、ベートーヴェンのいわゆる「ベートーヴェンらしさ」を最も感じることのできる作品だと思う。もちろん、どの録音でもそうだ、とは言えない。しかし、いわゆる「ベートーヴェンらしさ」というものが何なのか、それは例えば彼の熱情ソナタを弾いたとき、あるいはヴァイオリン・ソナタを弾いたときに、奏者が感じることのできる特別な感情、胸に沸き起こるものを、演奏する側ではなく音楽を聴く側として体験したいなのら、この曲は最もオススメできる曲だ。

クラシック音楽と歴史の解説。ベートーヴェン(ベートーベン)『交響曲 第7番 イ長調』の解説、感想とおすすめ演奏、名盤の紹介。のだめカンタービレのエピソード。 私のブログにリンクを貼らせていただいてしまいました。, コメントありがとうございます。 このブログのSNSアカウントでシェアさせていただきたく思います。

初放映当時、なかなかポピュラーではないクラシック音楽の世界にスポットがあたり、一大ブームを巻き起こしました。, 音大生や演奏家たちがクラシックの名曲と格闘するさまはとてもリアルで、クラシックファンの私も知らない実情に興奮しました。, その主題歌として、ベートーヴェンの第7シンフォニーが取り上げられたのも衝撃でした。, この曲が、ベートーヴェンの〝不滅の9曲〟の中でもトップレベルの傑作であることはクラシックファンなら知らぬ者とていませんが、悲しいかな〝英雄〟〝運命〟〝田園〟といったタイトルやニックネームがついていないため、一般にはほとんど知られていなかった曲です。, 第1楽章の雄大な序奏から、奔流のような主部に突入する瞬間は、あらゆる音楽の中でも最もエキサイティングだといっていいでしょう。, 原作の漫画をTVドラマ化するときに、クラシックであるこの曲を、そのままメインテーマにしようと思いついたプロデューサーはすごいです。, このシンフォニーは、発表されるたびに賛否両論を巻き起こすベートーヴェンの作品には珍しく、初演から大好評でした。, 第5番〝運命〟と第6番『田園』を初演し、大失敗した1808年12月22日のコンサートから、次のシンフォニーにとりかかるまで3年の空白があったわけです。, 〝己の魂を表現する〟ベートーヴェンの音楽には、これまで見てきたように、自分の身の回りに起こったこと(特に恋愛)や、社会情勢の変化、思想信条などが大きく反映しています。, ハイドンやモーツァルトのように、消費者である聴衆のために作曲したのではなく、わが芸術を理解せよ、という〝上から目線〟だったわけです。, 相手は、貴族たちから年金をもらえることになり、経済的に安定したので、そろそろ身を固めてもいいかな、と思い立ち、友人に紹介してもらった人でした。, ただ、お見合い的な出会いだったので、ベートーヴェンの立ち直りは早く、その後も何人もの女性が彼の前に現れます。, ちょうど、第7シンフォニーを完成させた直後、ベートーヴェンは〝不滅の恋人〟に宛てた熱烈なラブレターを書いています。, これは、ベートーヴェンの死後、秘密の戸棚から発見された手紙で、日付しか書いていないのですが、内容などから、1812年の可能性が高いとされています。, いったい誰に宛てたのか、の論争はいまだに決着はついていませんが、この時期に出会った女性たちは有力候補です。, そのうちのひとりが、ベッティーナ・ブレンターノ(1785-1859)です。(結婚後はベッティーナ・フォン・アルニム), しかし、恋愛対象だったかどうかはともかく、ベートーヴェンが心から魅了され、信頼し、深い絆で結ばれた女性であることは、間違いありません。, 彼女はするどい感性と大変な行動力の持主で、〝ドイツ・ロマン派運動の不思議な女予言者〟〝ロマン派の巫女〟と呼ばれ、人生後半は政治活動にも身を投じ、王侯たちに貧民の救済を直訴したり、人民の権利を求めて1848年の革命にも参加したりしました。, ゲーテが出世作となった『若きウェルテルの悩み』を著すきっかけとなった、シャルロッテ・ブッフとの失恋の直後に、1年ほど付き合ったようです。, 母親の死後、遺品の中に、ゲーテから母への84通もの恋文を発見した彼女は、居ても立っても居られず、男装して戦火の中をくぐり抜けてワイマールにたどりつき、ワイマール公国枢密顧問官にしてヨーロッパ一の文豪の胸に飛び込んだのです。, ベッティーナが25歳の頃、兄夫婦に従って訪れたウィーンで出会ったのが、ベートーヴェンです。, ベッティーナは、ベートーヴェンの音楽を聴いて、雷に打たれたような衝撃を受け、その精神性の虜となりました。, ベートーヴェンも、彼女の才能と、自分の芸術に対する理解の深さに感銘を受け、どこに行くにも彼女をそばから離そうとしませんでした。, ゲーテとベートーヴェン、文学と音楽で時代を代表する2大巨匠を同時に魅了したこの女性は、このふたつの巨星を結びつけようと思い立ちました。, ベートーヴェンはかねてより、ゲーテの詩、文学を愛し、彼を尊敬し、その作品に音楽をつけていましたが、片思いであって、ゲーテの方はベートーヴェンを知りませんでした。, そこで、ベッティーナの、ぜひゲーテに会いましょうよ!という呼びかけは、渡りに船、まさに天啓でした。, ベッティーナは、ベートーヴェンが話した、彼の芸術観と、ゲーテへの熱い思いを手紙に書き、ゲーテに送りました。, つまりこの書簡には、ベートーヴェンの創作にかける思いが赤裸々に書かれているのです。, 第7シンフォニーでは、〝運命動機〟で試みた同音連打による統一感を、一面では推し進めるとともに、それによって失われたカンタービレ、つまりメロディの歌謡性を復活させ、両立させようとしたと考えられます。, ワーグナーがこの曲を「舞踏の神化(Apotheose des Tanzes)」と讃えたのは有名な話です。, 第4楽章に至っては、そのあまりの激しさに〝酔っ払いの音楽〟と言われたこともありますが、そのダンス感ゆえに、ロックに慣れた現代人も魅了されてしまうのだと思います。, 「メロディ」「ハーモニー」「リズム」が音楽の3要素ですが、ベートーヴェンはゲーテの詩にそれを見出していました。, ベートーヴェンは灼けつくような日の光の中に立って言うのです。『ゲーテの詩は、内容だけでなく、その持っているリズムでも大変強い力でわたしを動かします。精霊たちの手によって高い秩序に築き上げられたかのような、またそのなかにハーモニーの秘密を潜ませているような、そうしたゲーテの言葉に合わせ、刺激され作曲したい気持ちになります。わたしは感激の焦点に立ってあらゆる方向にメロディを放射しなければならぬのです。それを追求し、激情をもって再び抱きしめる。それが遠ざかってゆき、多様な興奮の群がりのなかに消えてゆくのを見ます。間もなく新たな激情がそれを抱きしめ、わたしとそれとが分かち難いものとなる。束の間の恍惚状態にあって、あらゆる転調を行いそれを多様化しなければならぬのです。そしてついに最初の楽想を超え凱歌を上げるのです。ご覧なさい。それが交響曲です。実際、音楽は精神生活を感覚的生命としてとらえられるようにする正しい媒体です。ゲーテとこのことを話したいのですが、判ってくれるでしょうか。(中略)わたしのことをゲーテに話してください。彼にわたしの交響曲を聴くよう言ってください。そうすればきっと、音楽はより高い、智の世界への唯一の形のない入口で、それは人間を包み込んでおりながら、しかも手で捉えようとしてできない世界だ、と言うわたしの意見を正しいとするでしょう。』, ゲーテの詩にあるリズム、ハーモニー、メロディの三位一体、それこそがシンフォニーだというのです。, 芸術の媒体は違うけれど、ゲーテと自分は同じものを創造している、というのがベートーヴェンの考えでした。, 1812年7月19日、高級保養地テープリッツにて、ベートーヴェンはついに念願のゲーテとの会見を果たします。, 意気投合したふたりは、連日会って芸術について語り合いますが、洗練された宮廷人のゲーテはベートーヴェンの粗野な態度にとまどいます。, 皇族一行と庭ですれ違ったとき、ゲーテは恭しく帽子をとってわきに退いて礼をしたのに対し、ベートーヴェンはむしろ帽子を深くかぶり直し、皇族の方から挨拶した、というのは、伝記には必ず書いてある有名なエピソードです。, ゲーテは進歩的な芸術家ではありましたが、老練な政治家でもあり、前衛的なベートーヴェンとは相容れない部分が大きかったのです。, そんな結果にはなりましたが、ベートーヴェンはゲーテに自分の芸術観を分かってもらうために、この第7シンフォニーを創ったというのが私の解釈です。, 先程引用したベートーヴェンの言葉に、このシンフォニーのコンセプトが示されているように感じるのです。, この曲は、恋愛ではないものの、ある女性との出会いがきっかけとなり、不思議な縁で作られた、というわけです。, Ludwig Van Beethoven:Symphony no.7 in A major, Op.92, 演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティック, Sir John Eliot Gardiner & Orchestre Révolutionnaire et Romantique, 編成は、トロンボーンやピッコロを入れた前作から、伝統的なスタンダードスタイルに戻っています。ハイドン由来の序奏をつけたのも第4シンフォニー以来、久しぶりということになります。しかし、その序奏の内容の濃いこと、ひとつの楽章といっても差し支えありません。62小節に及ぶ長大なものです。, イ長調の主和音が何度もトゥッティ強奏され、そこからオーボエが抜け出してうっとりするような余韻を響かせ、やがてクラリネットも同じ役割に加わります。オリンポスの夜明けのような荘厳さです。, そして、弦の16部音符が刻みはじめ、天に昇る階段のように上行し、壮大な景色が開けてゆきます。盛り上がったところで、にわかに静かに落ち着き、クラリネットとファゴットの豊かな伴奏に乗ってオーボエが序奏の第2テーマを歌います。, 『のだめ』ではここで、指揮者の千秋に意地悪をするため、オーボエとクラリネットが逆のパートを吹きます。そのオーボエの悪夢のような伴奏旋律はまさに戦慄です(笑), しかし、その伴奏旋律こそ、この曲の心柱というべき『リズム動機』のはじまりなのです。これは、第2楽章のテーマにもつながっていきます。, 序奏の終わりは、それまでの流麗な流れを断ち切るかのように途切れ途切れになり、その混沌の中から、木管たちが次のテーマをさぐりはじめ、やがてそれが第1楽章の『リズム動機』となって、フルートによって軽やかに歌い出されます。ここは、主部の小さい序奏ともいえます。, そして、あの爆発が訪れます。まるで大騎馬軍団が押し寄せてきたかのようです。亡き師ハイドンは、自分の教えを守らず、古典的な常識もルールもどんどん破ってはみ出していく弟子ベートーヴェンに〝モンゴル大王〟というあだ名をつけましたが、まさに、13世紀にヨーロッパを恐怖のどん底に陥れたモンゴル帝国軍の来襲を思わせます。, 展開部は、前作に比べると大幅に縮小されていて、このあたりも当時受けた理由かもしれません。ベートーヴェンがこだわった展開部は長くて難解、というのが当時の評判でしたから。, 結尾は、ヴィオラ=チェロ=コントラバスによるバッソ・オスティナートが特徴的で、その上に全オーケストラが高揚して曲を締めます。, イ短調の悲痛な和音に始まり、弦が同音反復によるリズムを刻みます。その調べは哀切極まりなく、心に沁み込んでいきます。, 第3シンフォニーのように葬送行進曲とは明示されていませんが、曲のもつ雰囲気はまさにそれです。, 速度表記はアレグレットであるため、このシンフォニーには緩徐楽章がないことになり、それが画期的、と言われていますが、実際には緩徐楽章の役割をじゅうぶん果たしていますので、このことはさほど重要なことでないように思います。, まずは第1部はメインテーマの提示と、その3つの変奏からなります。テーマの提示は3声、第1変奏は4声、第2変奏は5声、第3変奏はトゥッティというように、慎重に1声部ずつ追加されていくのです。主旋律と対旋律のからみが絶妙で、この曲の一番の聴きどころです。何かを訴えるように、だんだんとそのうねりは大きくなって胸に迫ってきます。悲しさ、切なさ、やるせなさ、いったいどんな感情を訴えているのでしょうか。, 中間部にあたる第2部では、天国的な癒しと慰めが与えられます。亡き人の思い出が胸に甦るかのようです。つかの間の平安から現実に引き戻されるようにトゥッティが鳴らされ、再び第1テーマが奏でられたあとに始まるのはなんとフーガです。, 宗教曲のような厳粛さと、時折見せる希望の光が交錯し、この忘れえない楽章を閉じます。, 昔、高校の国語の授業で次の短歌を習ったとき、私はこの楽章のことだ、と感じたのを覚えています。作者がどの曲のことを指して詠んだかは永遠に示されず、読者は想像するしかないのですが。, 曲の性格としてはスケルツォなのですが、形式はABAではなく、ABABAというロンド的な作りになっています。また、調性は主調から遠いヘ長調に設定されているのも常識外れで、ロマン派のはしりとして特徴的です。セオリーとしては、イ長調の中間楽章はニ長調になるのですが、中間部はなんとニ長調になっており、ヘ長調に挟まれた部分ということでは離れすぎていて、なんとも入り組んで冒険的な調の設定ということになります。, 牧歌的な中間部は、低オーストラリア地方の聖地巡礼歌からの引用だ、という古い説がありますが、根拠は見つかっていません。でも、バグパイプを模したような持続音も聞かれ、民謡由来というのも可能性としてはあります。, 全楽章を通して舞踏的要素の強いこの曲の、本来の舞踏楽章ではありますが、最終楽章の狂喜乱舞を前にすると、まだ秩序だっていて、その前座のような趣です。, いきなり、粗野なバカ騒ぎに巻き込まれたかのようです。オッフェンバックの『天国と地獄』序曲を思わせるような、ある意味品のない音楽で、これを本当にゲーテが聴いたらぶっ飛んだことでしょう。, ベートーヴェンは、1810年から13年にかけて、英国民謡の編曲を手掛けていますが、その中のひとつ、『12のアイルランド歌曲集 WoO154』の第8曲の伴奏が、このメインテーマに改作されています。, この民謡由来のフレーズが、このシンフォニーを通貫する『リズム動機』として使わられいるのです。, 楽器たちは、その役割を追いきれないほど、縦横無尽にテーマを受け渡し、展開し、饗宴を繰り広げていきます。, 後世の人も、これを聴いて『ベートーヴェンは正気か!?』と疑い、酔っ払っているのかと思ったのです。もちろん、高度に計算し尽された音楽であり、酔っ払って創れるものではありません。, 最後は、第1楽章の結尾でも活躍したバッソ・オスティナートが不気味に響くなか、リズムの嵐は最高潮に達し、あらゆるクラシック音楽の中でも白眉のクライマックスに至って終わるのです。, 先に引用したベートーヴェンの言葉、『束の間の恍惚状態にあって、あらゆる転調を行いそれを多様化しなければならぬのです。そしてついに最初の楽想を超え凱歌を上げるのです。』をまさに具現化した音楽ではないでしょうか。, Symphony No.